2018年1月18日木曜日

奇跡のリンゴの木村秋則さんの魅力



ユーチューブで聞く場合は↓ここをクリック
  https://youtu.be/-dIvQLAV8Ic


おはようございます!
きょうは、青森県が生んだ日本のエジソン、
木村秋則さんのお話をしようと思います。

木村さんは、奇跡のリンゴ栽培を成功させた人として
世界的に有名な方ですが、

この、偉業を成し遂げた木村さんの歴史を、
愛ある眼差しで覗いてみたいと想います。

あなたは、木村さんのことを、
『タダの歯抜けの農家のおっさん』と思っていませんか?

ま、それも間違ってはいませんが、

木村さんのできることは、
世界一難しい、りんごの自然栽培だけではありません。

小さな頃から理系が好きで、物理、化学、数学が得意。
農業などの土いじりより、新しくて効率のいいものが好き。

エンジンやモーターも大好きで、
バイクのエンジンを研究して改造し、
エンジンの馬力を増やしたりするのが今も好きだそうです。

なので、高校は、農業科ではなく、
商業科に進んで、工業簿記一級を取得しました。

卒業後は、農業は兄に任せて、
神奈川県川崎市の日立関連の自動車部品メーカーに就職、
社内に『モトクロス部』を作った。

会社では、田舎では見たこともない
『オフィスコンピューター』が活躍していて、
覚えるのは大変だけど、
毎日ワクワクして充実した日々を送っていたそうです。

部活の方は、
会社のすぐ横のスクラップ屋さんから、
動かなくなったスーパーカブを、
タダ同然でもらってきては修理して乗る。

木村さんは次男ということもあり、
もともと継ぎたくない農業から離れ、

あの高度成長期を、好きなことに
没頭して過ごすことができました。

そんな青春時代の真っ只中、
「長男が体調を崩して、外部から
人を雇わなければいけないほど忙しい」

そんな、手紙が、おとうさんから届きました。

決して、
「帰って来て手伝え」とは書いていませんが、
木村さんの胸の奥には、いつかは故郷・弘前に帰る時が来る…
ずっとそんな予感があったそうです。

結局、木村さんは、
就職してから1年半か2年で、
都会生活を捨てることになりました。

「農業というものは、
こちらがどんなに尽くしても
天候・自然に左右され、
工業と違って、計算が立たない」

そんな効率の悪さも、当時若かった木村さんには
農業をやりたくない理由の一つでした。

なのに、木村さんは、農業に導かれた。

導かれただけではなく、農業に、
自分の命、家族全員の運命までかけることになる。

神様のイタズラ好きもほどがある…
と思うのですが、

農業嫌いが世界的偉業を成し遂げた!
のは事実ですよね。

考えてみれば、世の中は、
つじつまが合わないことだらけ、矛盾だらけ。

実際、そんな世界で、人類は、
発見・発明、いろんな営みを繰り返している・・・

話は飛んで、大人になった木村さんの、
こんなエピソードがあります。

ある日、日本の一流パソコンメーカーから、
木村さんのところに「助けてくれ!」と電話があって、
メーカーのパソコンを直してあげました。

『ITの専門家がギブアップしたシステムを、
農家の木村さんが直す』・・・ちょっと、不思議な図式ですが、
こちらの道では、木村さんは、
かなり名の知れた方のようです。

いつ、どこで、そのようなつながりができたのかは、
私には、今のところ不明ですので、つぎに話を進めますね。

木村家のどん底時代、リンゴの自然栽培を成功させるために、
畑の草を食べて命を繋ぐという生活を余儀なくされて、
当然、入れ歯なんて作る金銭的余裕は無かった。

もちろん、現在はお金に困っていないでしょう。

だって、奇跡のりんごは、
全国の一流ホテル、一流レストランに行くしか、
フツーのルートで我々の口に入ることは、
不可能なのですから。

そして、命がけで奇跡のリンゴを実らせたあと、
現在の木村さんの使命は、自然栽培を普及させることです。

日本全国にとどまらず、世界中から呼ばれて、
講演したり、自然栽培の指導をしています。

面白いのは、
日本のJAというのは、農薬や肥料を売って成り立つ、
というところがあって、日本の農業のやり方がなかなか
変わらなかった要因でもあったと思うのですが、

そのJA自らが、いま、
無肥料・無農薬・無堆肥の農業家である
木村さんに助けを求めているんです。

面白いですね。
なぜだと思います?

お米が売れなくて、廃業に追い込まれている農家が
あまりに多いからなんです。

それで、JAは、頭を入れ変えざるをえなくなった。

JAの古い体制を守ろうとすること自体が、
自分たちの首を絞めることになる。
そのことに気づいて、、、

日本の農業全体を守ろう。
地元の農家が成り立つようにしよう。

利益追求ではないところに価値を置く。

安全・安心で栄養価が高く、
しかも美味しいお米を作らないと、
お米は買ってもらえない。

逆に、
それらを全部満たすお米を作ることができたら、
絶対にお客さんはお米を買ってくれる。

そこに気がついて、
木村さんにお願いした最初のJAが、
木村さんの地元である青森県の農協でした。

それから、
全国のJAが名乗りをあげてきています。
木村さんを呼んで、自然栽培作りに
地域をあげて取り組み出しています。

いままでは、お米の価値は美味しさで決まる、
みたいなところがあって、
美味しいお米が値段の基準で、

そこに、低農薬、減農薬、特別栽培、
という付加価値が加えられ、
多くの国民は、それで満足していました。

ところが、木村さんによって、
突然、農業ルネサンスが産声をあげることになって、

やっと、本来の健康食としての、
お米の価値が認められるようになったということで、
米好きのわたしは大変嬉しく思いますね。

若い頃から、お米、炊いたご飯の味や食感にうるさく、
ずっと、長年、美味しいお米を探して生きてきた
というところがあって、

最終的に、体に良いお米探しを始めたら、数年前、
自然栽培のお米と野菜・果物に出会いました。

日本の自然農法の先駆けは1913年生まれの福岡正信さんで、
1975年に出版された著書『わら一本の革命』は、
海外の主要言語に訳され、20~30カ国もの国で読まれています。

そんな福岡さんの著書に『自然農法』
という本があるのですが、
その本との奇跡的な出会いが、
奇跡のリンゴを生むキッカケとなりました。

当時、木村さんは、農薬、殺虫剤、殺菌剤などを、
大量に使用してリンゴを育てていました。

農薬の被害をまともに受けるのは、
農家の人たちで、いくら、
体に悪いとわかっていてもやらざるを得ない。

年に数十回の農薬散布をやらないと、
リンゴが実らない、それが当時の常識でした。

特に木村さんの奥さんが農薬に蝕まれていたこともあり、
農薬散布の少ない作物を作ったり、
農薬散布の量は同じでも、
回数を減らすなどの工夫をし始めているときに、

「こんな農法があったのか!」
と、自然農法の研究がスタートします。
まさか、その10年後、
自殺を意識するまで自身が追い込まれことになるなんて、
夢にも思わずに…

木村さんの書かれた「奇跡のリンゴ」は、
ベストセラーとなり、映画化され、
人気テレビ番組「プロフェッショナル仕事の流儀」
でも取り上げられました。

木村秋則さんや「奇跡の無農薬りんご」に興味のある方は、
参考に、ご覧になってみてください。

というわけで、
きょうも最後までおつきあいくださり、
ありがとうございました!

奇跡の教材
https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#GMfFUu








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