2017年12月31日日曜日

X-Buddha、感情カタルシス浄化


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X-Buddha第10話のテーマは、
感情コミュニケーション。

今回の授業は、感情分析っていうか、
いろいろな話があったのですが、

今日は、最終的に、
この厄介な感情の扱い方っていうところに
落とし込んでいきますので、
最期までおつきあいくださいね。

最初に、感情のブロックっていう話をします。

そういえば、私たちって、
感情はブロックするものと教育されてきました。

だって、感情は常にオープンではなくて、
常に、いま出してもいい状況かどうかの
空気を読む、みたいなところがあります。

頭でブロックしているんですね。

ネガティブな感情、たとえば、
はらわたが煮えくり返っていても、
なに食わぬ顔をしたり、

喜び過ぎたら、かっこ悪いとか、

心がズタズタでもグッとこらえて、
その悔しさを飲み込んだり、

オシッコを漏らしそうなのに、
怖くない、へっちゃらを装ったり、

本当は、すがりたいのに、抱きしめてほしいのに、
私は平気、大丈夫、とか言って、強がったり、

結構、日常茶飯事ってくらい、
いろんな場面で、私たちの、
感情を出さない訓練ができていますね。

これ、当たり前だと思っていたのですが、
じつは、これって、すっごく身体に悪いんです。

我慢とか、抑えるとか、
基本的に、身体から出てきた物を、
戻すのは不自然な行為なんでしょうね。

出さないのは、感情を宿便として、
身体の中に溜め込んでいるのと一緒なんです。

たとえば、怒り、悲しみ、悔しさ、辛さ、恐怖など、
こんな感情を溜め込んだら、たまったもんじゃないと
思いませんか?

そんな感情が身体の中で積もり積もって、
病気を引き起こすようです。

これ以上、感情を我慢するのはやめてくれ~
っていう体の叫びなのかもしれません。

感情の種類によって、痛む場所も変わってきます。

根が深いと、心臓にくるようです。
それもそのはず、心臓がダメになったら、
すべておしまいですから。

このように感情をブロックして、
いいことはないわけです。

だからと言って、
感情を撒き散らしなさい
といっているわけではなくて、
認識して欲しいんです。

なかなか、難しいんですけどね。
自分の感情を認識する習慣がないし、
ましてや、本音をださない他人の感情なんて
わかるはずがありませんが。

認識してない、冷静じゃないから、

たとえば感情に耐えられなくて、
ショッピングに依存したり、
ホストクラブに入れあげたりして、
お金を使いまくったり、

抑圧した感情が、
変な行動に走らせてしまって、
コントロールできないとか、

やめたくてもやめられない、
後ろめたさにさいなまれる。
いろんな感情が、また出てきて、
また抑えて、情緒不安定になってしまう。

ギャンブルにも似た、プラスとマイナスの
感情が入り乱れた状態が、一旦ハマると、
なかなか抜け出せないですよね。

というように、
感情には習慣性があって、
麻薬に通じるところがあって、
一歩間違うと恐ろしい
リスクに発展してしまいます。

また、ある感情に浸ることで、
安心するみたいなところもあります。

きっかけは、悲しい悲しい出来事であっても、
いつのまにか、それは、『私は、こんなに悲しいのよ。
かまってちょうだい、慰めてちょうだい』という
アピールに、変わってしまっている場合があります。

無意識に、そうなっているので、
本人はなかなか気がつかないんですが。

深みにはまって、それが心地いい。
同じ感情でいること、感情にコントロールされて、
そこに落ち着く不思議な安心感というか、
変なんですけど、そういうのがありますよね。

だんだん慣れてきて、麻痺して、安心感にかわる。

DVの夫から離れられないのは、
はっきりとは、わかりませんが、

夫にかまってもらっている、
私には夫がいる、私は一人じゃない、
私がいないと、この人はダメなの、
私は必要とされている。

これが感情の罠です。

感情には、気をつけないと、本当に、
麻薬みたいなところがあります。

また、常にハッピーな自分を装うことで、
プライドを保とうとしたりっていうのも、
ありますね。

本当のハッピーではないので、
ごまかすことで保っているイビツな状態ですね。

そんな状態を、無理して続けていると、
それが、シャドーになって、
反動がでます。

で、我慢強い人は、またそれも
封じ込めようとしたりして、
ニッチもサッチもいかなくなる。

感情を抑えていても、
上手に発散できているうちは、
反動がでにくいですが、

発生した感情は、フツーに考えて、
出し切らないと残ります。

感情の宿便を溜めたままでは、
教育どころではありません。

先生も、生徒もです。

教育は、感情がフラットな状態で
行われるのが学習効率がいいです。

でも、
ちょこちょこ動くのが感情です。

なので、
感情をそらして忘れる方法や、
消す方法があるのですが、

一つ、とっておきの方法をシェアしますね。

『カタルシス』という感情の浄化方法です。

感情にブロックをかけるのではなく、
逆に、感情をストレートに出してしまう方法です。
思いっきり、名優になったつもりで、
大げさに、大声を出すとか、全身を使って、感情を表現します。

バタン!と床に倒れ込んで、
俺はもうダメだ!死ぬーーーと、
感情を100%吐き出す。

涙がかれるまで声をあげて
泣きたいだけ泣いてみてください。

全身全霊で、遠慮しないで、
疲れたあ~~~
と、1ミリも、抑制しないで
言ってみてください。

おどろくほど、スッキリしますよ。

また、映画を見てスッキリする人もいますね。

主人公に感情移入して、ハラハラドキドキして、
ヒーロー、ヒロインの
人生を通して、普段は無意識のうちに抑えている
ありとあらゆる感情を追体験できる場合は、
浄化できちゃうのかな?

とりあえず、いろいろやってみてください。

教育のため、人類の平和のために・・・
『カタルシス』超絶オーバーにやるのがコツよ♪

では、またあした。
ということで、最期までおつきあいくださり、

ありがとうございました!


TOKYO期末セミナー

https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#GMfFUu








2017年12月29日金曜日

ジャズピアニスト小曽根 真と師匠のゲイリーさん


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おはようございます!
X-Buddhaを学んでいると、やたらと師弟関係が気になて、
師匠は弟子に、どんな言葉をかけたんだろう?
どうやって導いたんだろう?

そんなことを常に意識しているので、
きょうは、ある先生と生徒の関係をご紹介しようと思います。

師弟関係のエピソードを通じて、
真の教師像のイメージを
膨らませてほしいなと思っています。


ヴィブラフォンの世界的巨匠ゲイリー・バートンは、
優れたミュージシャンを育てる教育者として有名です。

現代の音楽界に巨大な足跡を刻んだ彼が、
どんな演奏家を育てたのか?

私が知っているのは、ジャズ・ピアニスト小曽根真さん。

彼のことは、後でお話しするとして、
あとは、有名なジャズ・ギタリストのお二人を、
あげておきます。

一人目の、
1954年生まれのパット・メセニーは、
ウィチタのジャズ・フェスティバルに行き、
ゲイリー・バートンに演奏を聴いてもらいました。

そこで、彼の実力を認めたゲイリーは、
「君は本当に素晴らしい」と言って、
バンドへ加入させていまが、

13歳のとき独学でギターを始めたメセニーは、
そのとき、まだ18歳ぐらいでした。

そして、二人目は、ジャズ界の至宝で、
天才ギタリストのジョン・スコフィールド、
1951年生まれ。
彼も、25歳くらいのとき、
ゲイリー・バートン・カルテットに
加わって、色んなことを学んび巣立っていきました。

彼はのちに、
『マイルス・デイヴィス』のグループで、
レコーディングやツアーに参加し、

あとは、パット・メセニー同様、
グラミー賞の常連さんになりましたって感じですね・・・

で、話しは、小曽根真さんに戻りますが、
彼と、師匠のゲイリー・バートンさんとの関係は、
約35年の歴史があります。

小曽根さんが、バークリー音大の学生時代、
学長の家でパーティーがあったんです。

そこで、小曽根さんは、
ピアノでBGMを弾きましたが、
そのときのことを、ゲイリー・バートンは、
自伝にこう書いています。

「僕は結局、その夜の大半をピアノの周りで
うろつくことになる」

で、ゲイリーは、
小曽根を自分のオフィスに呼んで
彼の痛いところを、ズバッと指摘しました。

「おまえは伴奏のばの字も知らないな!」

で、更に、
いま習っている教師から
伴奏を学ぶのは難しいな、
あいつら自体が伴奏を知らないんだから・・・

と、
いうことで、小曽根さんは、
ゲイリーのバンドに入れてもらったわけですが、

それから月日は流れ、彼は、師弟関係の小曽根さんを、
ベスト・フレンドとか、パートナーと言って
人に紹介するようになったんです。

で、それにたいして、小曽根さんが
どう思っているかというと、やっぱり、
恩師っていう思いがあって、

自分でも、ベスト・フレンドという意識はあるけど、
対等とか、追い越したとかではなく、

今の、僕の音楽があるのは彼のおかげ。
僕が、クラシックに興味を持ったのも、
彼に教わった《音楽とは何か?》があったおかげ。

「超絶技巧で弾いて楽しいじゃん」
「超絶技巧、命!」
と、いうところにいた僕に、ある意味、対極の位置にある
クラシックの世界にも目を向けさせてくれた。

あのパーティーで彼に出会っていなかったら、
今の僕はいなかった。

それを、ゲイリーさんに言うと、「そんなことはない。
おまえの才能は俺じゃなくても誰かが見つけていたよ」

と、いつものように淡々と語ったそうです。

ということは、ちょっと待って・・・

潜在能力は、先生が発見して
育てていくものなの?

先生、メンター、師匠を探さなきゃ!
もしくは、見つけてもらわなくちゃ!

でないと、
才能の花は咲かないの?

と、思ったんですけど、

そのことは、置いておいて・・・

じつは、パーティーの一週間前、
バークリーで学生コンサートがあって、
そこで、ゲイリーさんは、始めて、
小曽根の超絶技巧の演奏を聴いて、
こんな感想を持ちました。

「この子はテクニックをいっぱい持ってるけど、
かわいそうに、音楽をどう扱っていいかわからない子供だな」

これが、小曽根さんとゲイリーさんの、
最初の出会い。

それから一週間後、パーティーの出会いがあって、
師匠は、小曽根さんに、
「おまえ、ちゃんと音楽が弾けるじゃないか」
と、言ったそうです。

ゲイリーさんは、どのタイミングで、
小曽根さんの30年後の未来を想像したのでしょうか?

きょうの内容を通して、
真の教師とは?、ヴィジョンとは?、
コミュニケートとは?、導くとは?、

このようなことを少しでも
感じていただけたら嬉しいです。


で、きょうは最後に、
仙人さんに質問があります。

生徒さんの才能を見つけて引き出して、
未来を想像するのは、やはり、なにか
教育者には、豊かな下地が必要だと思います。

生徒さんの可能性の幅を狭めないために、
自由でダイナミックな想像に直結する下地を作るために、
教育者は、どのようなことをすれば、
それを身につけることができるのでしょうか?
アドバイスをお願いいたします。

以上です。
というわけで、
最後までおききくださり
ありがとうございました!


参考:Barks Jp 5.24インタビュー記事より


セミナー動画はここから↓↓↓どうぞ
https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#GMfFUu








2017年12月28日木曜日

欽ちゃんの足跡チョコッと話してみた!






今日は、欽ちゃんの話しをします。

萩本欽一、1941年生まれ、76歳のことば。

高校野球、甲子園の土を最初に誰かが持ち帰った。
一人の選手の勇気。それを咎めなかった大人も立派だね。

でもね、ずっとあれを真似しているのは悲しいよ。
新しい物語、生まれてこないかな。

これは、朝日新聞のインタビューに答えた
欽ちゃんの言葉のほんの一部ですが、こんなことも提案している。

高校球児は、大人でもない、子供でもない、
不完全なところが魅力だ。だから、
それをもっと引き出したらどうか。

インタビューの答えがみんな一緒。
「頑張ります」「応援宜しくお願いします」

それでは、素直な感情がぜんぜん表にでていない。

たとえば、試合に出られなかった子や、
負けたチームの子に、スタンドに向かって、
自分たちの想いをマイクで、喋らせたらどうか。

自分の言葉で語って、そうすれば、
お客さんも、一緒に喜んだり、悲しんだり、
共感してくれたり一体感が生まれたり。

「応援してくれる人のために頑張ろう」
って思えたりして。
選手たちも一歩踏み込んだ経験ができる。

選手とお客さんの距離が近くなることで、
感動が大きくなる。

欽ちゃんが、社会人野球チームの監督時代、
お客さんが喜ぶのは、ドラマ。
予想外のできごとやアドリブなのだと思った。

高校野球は、なんとなく、いまは、
規則で縛られているような印象があるが、
本来、泥臭いところが魅力ではないか。

思わず、甲子園の土を持ち帰ってしまった。
そんな、はみ出す勇気がほしいね。

こんな発想をする欽ちゃんは、
地味にいまだに君臨しています。


私たちは、テレビの黄金期とともに、
ワクワクしながら昭和を生きてきて、

だから、テレビ界の衰退は、
寂しくまた複雑な心境でもある。

でも、日本テレビの『世界の果てまでイッテQ』は、
2007年から続いている人気番組。

視聴率も20%前後を維持しているらしい。

それも、そのはず、
というのも、この番組がスタートする前、
担当ディレクターが、
欽ちゃんにアドバイスを求めに行っているんです。

で、番組をヒットさせるためのヒントを、
欽ちゃんから、2つもらっている。
それは、『遠い』と『辛い』でした。

今も、番組のコンセプト・方針は変わりません。
『世界の果てまでイッテQ』は、
タレントが遠くまで行って辛いコトをやる番組。

多くの番組制作者が『近く』で『楽』なことを探す中で、
こんな逆転の発想ができる欽ちゃんは、
なんて頭が柔軟なんだろうって感心してしまいます。

以前やっていた、週3本のレギュラー番組が
全て30%を超えていた。
『視聴率100%男』というのはここからきている。

結成当時、コント55号のコントには、
役柄だけが決まっていたが、
台本が無かった。

二人がコントをやることで、
欽ちゃんの突っ込みはますます磨かれ、
二郎さんのボケというか、芸は、磨かれ、
二郎さんという花が見事に咲きました。

欽ちゃんの無理難題の突っ込みに、
応えられたのは、二郎さんだけだった。

欽ちゃんは、タレントの域も、
コメディアンの域も超えていました。

その一つが、テレビ界の常識を変えたこと。
たとえば、
コントの動きが、カメラワークからはみ出したのも、

ピンマイクを日本に導入したのも、
番組の司会者に女性アシスタントがつくようになったのも、
テレビで素人をいじって番組を成立させたのも、
視聴者からのハガキや手紙をテレビで読んだのも、

スタジオに設けた観覧者席の背後にカメラを設置して、
ステージとお客さんのリアクションを
同時にテレビ画面に映し出したのも、欽ちゃん。
細かいことでいえば、まだまだあると思います。

欽ちゃんが本に書いている言葉があります。
人生で、面白いのは、発明と発見。

それは、欽ちゃんの生き方そのものって気がしてきますね。
先にあげた欽ちゃんのテレビ界での発明は、
いまは、常識になっています。

そんな欽ちゃん、浅草の東洋劇場というところで、
コメディアンの修行がスタートしますが、
3ヶ月くらいたったところで、演出家から、
「お前は、コメディアンに向かない」と言われ、

それは、本人も納得しました。
なぜなら、あがり症なので、
たった3つのセリフが言えない、
リズム感がないから簡単な踊りもできない。

だから、この時、欽ちゃんは、演出家に、
「はい、僕も無理な気がします。今月いっぱいで、
やめることにします。」
と、答えています。

で、このとき、本当にやめていたら、
コント55号も、有名な欽ちゃん走りもないわけです。

その話は長くなるので、
次回のためにとっておくことにしますが、

コメディアンとして、向いていない
と、言われた男が、レジェンドになるとはね。

もう一つの不思議が、司会業という仕事です。

欽ちゃんは、いつの間にか、
お茶の間の人気者になって、
寝る時間もないほどのハードスケジュールをこなす
超売れっ子スターになりました。

そして、ときは流れ、二郎さんとは、
別々の仕事をすることが多くなったころ、

事務所の社長さんに、
「この仕事だけは絶対に断ってね」

そう言って頼んでいたのが、
司会の仕事なんです。

アドリブでツッコミを入れて
二郎さんを困らせてばかりいたから、
型どおりの進行役なんてできるわけない。

そう思っていたのに、
なぜか、来るのは、司会の仕事ばり。

で、本当に向いていない司会の仕事をやってみたら、
新しい司会者だと言われた。

のちに、冬季長野オリンピックの閉会式の司会まで務めた。

で、欽ちゃんは過去を振り返ってみて言うんですね。
「今考えると、向いていなかったのが
よかったんだと思う。」

「もし、コメディアンも、司会も、
向いてるって言われていたら、
天狗になって、成功しなかった気がする。」

「だから、向いていない場所にこそ、
運は落ちているって思います。」

深い・・・

では、最後に、
人の才能を見出す名人でもある、
欽ちゃんのエピソードと、たけしの言葉をご紹介します。

欽ちゃんが司会をやっていた、
『スター誕生』という番組がありましたが、
最初、山口百恵ちゃんは、
オーディションに落ちていたんです。

それを、欽ちゃんは、
この子は絶対に大スターになるからと言って、
オーディションに復活させたんです。

もう一つは、ダウンタウンに、
「君たちは絶対に売れるから心配するな」
と、励まし、彼らが、
東京に進出するきっかけを与え…

で、欽ちゃんの、
アットホームな笑いに批判的だったタケシが、
世界のたけしになってしみじみと、
こんなことを語った。

「お笑いの地位が上がり、お笑いタレントが
司会をやれるような時代になったのは、
萩本さんのおかげ…」

というわけで、
今日も最後までおききくださり

ありがとうございました!

花を咲かせる職業




サイダーとヨーグルトでラッシー作ってみた

音声はユーチューブで ラッシーが飲みたい ラッシーとは カレーと相性が良くて 辛さが和らぐ白いソフトドリンクで それを飲みたいって思って カレー屋さんで飲んだ印象では 飲むヨーグルトっ...