2017年12月11日月曜日

素人教師をブラッシュアップ



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  https://youtu.be/1Ulz3M328F4









おはようございます!
きょうは、X-Buddha、第7話の授業を聞いて、
私の感想と、宿題の一部をシェアしたいと思います。

真の教育者として、思い出すのが、
本居宣長とか吉田松陰とかなんですけど、
やはり、その人たちに共通しているのは、
志とか、理想とか、信念とか、
情熱とかがあったってことですね。

あとは、ブッダとか、キリストとか、孔子とか、
聖人君子や偉大な哲学者とか、
話が大きくなってくるのですが、

やはり、世の中には、
教育者によって人生が変わったという人が
多くいるのは確かなのではないでしょうか。

平たくいえば、恩師の存在です。
で、人生のセレモニーに、恩師を招待して
「今日私があるのは、先生のおかげです」
と、頭を深々と下げて感謝したり。

あの時の、先生の愛ある言葉や態度で、
私は救われました。
苦しいととき、辛い時、
これを乗り越えることが先生に対するご恩返し、
そう信じて、きょうまで一生懸命頑張ってきました。

とかあると思います。

結婚式といえば、恩師というくらい、
恩師が出席してくれると格好がつくっていうか、
そのエピソードを披露すれば、
新郎新婦のバックグラウンドなど、
一気にイメージが広がったりしますよね。

そのように、
生徒の「人生」に、けっこう、
深く関わっていたのが先生。
そんなふうに私は思います。

ところが、現実問題として、
理想も情熱も持ち合わせない教師が
学校教育に関わっていて、
子供達に影響を与えている。

仰げば尊し、我が師の恩とかいうのは、
遠い過去のはなしになりかけています。

そんな中で、私たち真の教育者を目指すものは、
たとえ、本居宣長や吉田松陰のようになれなくても、
せめて、自分自身の理想や哲学を追い求め、
愛と思いやりのこころで、生徒を導く。

そのための努力は惜しまないという姿勢が
必要だと思います。

生真面目でなくても、
ズボラで、面倒くさがりの性格であっても、
人間として生きる「道」というものを、
自分なりのペースで求めるというのが、
大切だと思うのです。

聖人君子にならなくてもいい、
人間くさくていい。

教育者としては、己を横に置いて、
エゴを捨てて挑むという、
プライドと自覚をもった教育者が、
世の中に増えてほしいものです。

また、教育者という名がつかなくても、
ご近所同士が一つになって、
子供たちを育てていたという時代がありました。
自分ちの子供とよそんちの子供を分けへだてなく、叱りあった。

そんな、公共の愛というのか、なんというのか、
愛情表現することに垣根はなく、そのへんは、
とても、ボーダレスな日本人だったのですね。

その、いい意味での曖昧さは、
とても素敵なことだと思います。

いまの時代、
地位や体裁・世間体にばかり
気をとられがちですが、
そんな外側にかたよった考え方をするよりも、
内側の『愛情重視』の世の中を早く取り戻したいものです。

人類の何百万年の歴史上、一度だって
愛を求めなかったことはあるでしょうか?

人は愛を求めて、子孫を残した結果が私たち、
世界人口76億人の存在だと言えます。

若者は愛を語り、赤ちゃんや子供は愛を求めて、
抱きついたり、言葉を求めたり、
おもちゃを欲しがり、
靴下を履かせてほしがったり、
そばにいてほしいと駄々をこねたりします。

地球には、言葉も文化も違う国が、
東西南北にたっくさんありますよね。

米国、欧州、インド、アフリカ、
アラスカ、チベット、南太平洋の島々とか、

文化が違えば、習慣がちがう。
こちらの国で許されることが、
あちらの国ではタブーだったりします。

でも、共通しているのは、
愛を求めているということなんです。
愛は、共通語・国際語なんですね。

私たちが学びたいと思う欲求の先には、
ひょっとしたら、愛があるのかもしれません。

食べるのも、寝るのも、セックスするのも、
仕事をするのも、コンサートに行くのも、
誰かに会うのも、勉強するのも、愛がほしいから。

充電が切れると、パソコンもスマホも
真っ暗になって動かなくなります。

それと同じように、愛が切れかかると、
人間は、正常に機能できません。
機械や人間がバグるには、意味があるんです。

愛という抽象度の高い言葉ですが、
人間から愛をとったら、何が残るんだ!

というくらい、
「愛は、読み書き算盤(そろばん)より
大事なだいじなことなんだよ」
と、いうことを教えてほしかった。

で、愛を意識しつつ、
形を整えていきましょうというのが、
X-Buddhaです。
だから、第1ステージだけで、
12話もあるのですね。

今回のテーマは、
プロフェッショナル・セルフイメージでした。

プロとしての自覚、プロ意識を持つ
というのは内側の問題ですが、
生徒さんからプロとして認識されるかどうかという、
いわば、外側からの評価の問題にフォーカスしたのが、
今回の授業でした。

なので第7話の宿題2は、
プロフェッショナルかどうかの自己チェックです。
自分の、ここは素人っぽいなと思うところを、
3つ書き出します。

ここは甘かったな、ここが教育者としては、
ブロックになりそうだなと思うようなところです。

それを、書き出したら、アウトプットします。
家族でも友達でも、ほかの大切な人でもいいのですが、
一番、これを聞いてガッカリされたら嫌だなと思う人に、
告白します。

で、「実はわたしはこの部分が素人なんです。
でも、これから進化します!」
と、決意して、約束してみる。

面倒くさくて、ちょっと勇気のいるワークですよね。
でも、仙人さんは言います。

多くの人が、作話して言い訳して、
自分の弱点を受け入れないし、
認識さえしない、当然、告白もしない。

だけど、このプロセスが大事、
そうすることで、1年後には、
弱点や欠点が克服できているんだよ・・・

で、きょう最後に伝えたいことは、

教育全体を通して、
子供達の自尊心や愛国心はないがしろにされ、
愛情が欠落したまま大人になってゆく。

どんな人の身体にも、
生まれ持った魂が生きている。

それが、封印されつつあるように
感じてしまうのは私だけでしょうか?

魂を磨く…
そんな言葉が死語にならないように、
凡人でも、真の教育者になれる。
そんな方法をX-Buddhaから学び取りたいと思います。

プロの先生には、
尊敬の念がわいてきて、
深い愛情も感じられて、

そんな先生の授業からは、
学習意欲も湧いてくる。
内容も記憶に残りやすい。

そうなって初めて、
すばらしい教育内容が生きてきます。

なので、

プロフェッショナルなセルフイメージを
作り上げることが大事。
生徒さんから認められ、名実ともに、
プロフェッショナルになることが大事。

そうなるための、ノウハウが、
第7話でした。

というわけで、
今日も最後までおききくださり、

ありがとうございました!

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