2017年12月21日木曜日

『大英博物館で研究員をぶんなぐった!』南方熊楠


Photo:Wikipedia


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  https://youtu.be/vTnD8bhMWlM


おはようございます!
今日は、南方熊楠(みなかたくまぐす)について調べてみました。
熊楠といって、思い出すのは、
大英博物館で研究員をぶん殴った事件ですね。

熊楠が英国で、大英博物館の古物学の部長に出会い、
出入るするようになって、

当時は人種差別がひどくて、
なんどもトラブルがあったそうですが、

英国人の研究員ができないことを
たとえば、研究上の解明とか大発見とかを、
東洋人の熊楠がやってのけたりして、
彼らにとっては、屈辱だったのでしょう。

そんなことが続いて、
ついに熊楠も堪忍袋の緒が切れる時がきました。
もう、こんなところにいられるかって感じで、
出て行こうとしたんです。

なんと、それを止めに入ったが女王で、
なぜかというと、それくらい熊楠は優秀だったんです。

学者なら誰もが憧れる『ネイチャー』という
有名な学術雑誌がありますが、
熊楠は、帰国するまでの間に、
30編も論文を発表しています。
その後もあわせるとトータルで51回載っています。

すでに、その道では、
世界レベルで認知されている、
クマグス・ミナカタだったのです。

そういうわけで、
一連のトラブルを女王自ら調査した結果、
熊楠は悪くないという結論がでて、
出て行くなんていわないで、
思いとどまってほしいと頼んだのです。

大英博物館で働くのが嫌なら、
あなたのための博物館を与えましょう。
どうかそこで、研究を続けてもらいたい。

女王にそこまで言われても、
もともと権力者のいうことを
聞くような熊楠ではないですから、

もうこれ以上、英国のために協力したくない、
と、思ったのでしょう。
なんの迷いもなく、
さっさと博物館を去って日本に帰ってきました。

そんなかっこいい熊楠は、
生まれながらの学者さんだと思いますね。
幼少期から、学問に目覚め、
動植物などに対する好奇心も尋常じゃなかった。

そんな才能を早くから認めて
応援してくれたのが、金物商を営む父親でした。

熊楠は、1867年、慶應3年の生まれ、
明治6年、満6歳で小学校に入学しますが、
この頃から、蔵書家を尋ねては書写したり、
本を読んで帰宅してから、記憶したものを
記録してたりして,繰り返し何度も読んだそうです。

辞典から全集から、とにかく
書写と読書と野外での植物や昆虫採集に
没頭していた熊楠は学校の成績は良くなかったようですね。

学校嫌いで、好きなことしかやらない子供で、
それは大人になっても相変わらずっていうか、
信念をもって研究に没頭していました。

変人奇人天才秀才、すべてが当てはまるような熊楠は、
レオナルド・ダ・ヴィンチと比較されますが、
万能という点では共通しているものの、

クールなダビンチより圧倒的に、
熊楠の思想のほうが、あたたかい。
人類とか文化のことまで深く考えている。
とある学者さんは分析しています。

話は飛びますが、
相変わらず、植物採集などの研究に
明け暮れる日々を送っていた熊楠は、
今の東大の前身である大学予備門に入っても
そのライフスタイルは変わらなかった。

少しは変わればよかったのに、
結局、学校の授業には打ち込めずに、
進級試験に落ちた。
それで、あっさり帰郷したあと、
アメリカ留学を目指すが、
父親に反対される。

数ヶ月に及ぶ、説得の末、
父親が根負けして、
14年間の海外放浪の旅が始まる。

結局、専門はなに?
というくらいの学問を追究したのですが、
自然保護までやっています。

政府が、樹齢一千年の木々を
お金に変えるために伐採しているのをみて、
粘菌学者の立場から猛反対して国の方針をかえさせた。
貴重な未発見の細菌を失うことになるからだ。

そのおかげで、熊野古道は守られたと言っていい。

人脈もすごくて、ロンドン時代に、
中国革命の父・孫文と出会い意気投合。
民俗学の権威・柳田国男とは文通を続け、
何百通という書簡が残されている。

あまりに、熊楠がやってきたことが、多すぎて、
簡単には、語れないことに今頃気が付きました。

なので、あと、二つ話して終わりにします。
まだ、言っていなかったこと、、、
熊楠は18カ国に精通していました。
なので、すべて、論文も英語を中心とした外国語です。

それから、
「雑草という草はない」という言葉を残した、
昭和天皇も熊楠と同じ粘菌学者。

「たまには学問の話がしたい」という天皇にたいして、
東大の学者を呼びましょうかと側近が尋ねると、
「南方熊楠と粘菌の話がしたい」といった。

そのとき、なんと、熊楠は
和歌山県知事にゲロを吐いた罪で、
牢獄にいたのです。

南方は、この牢獄で、粘菌を2個を発見して、
ネーチャーにも発表していますが、
牢屋から出てもいいよと言われたとき、
もう少し居させて欲しいといったぐらいの
愛すべき学者バカ一筋の人物です。

熊楠は、欧米の最新の学問を持ち帰ることに興味がなかった。
最新科学という鎧を着て強そうに見せることにも、
日本の軍国主義にも、まったく価値を見出さなかった。

そして、日本人は、日本人独自の思想を
世界に発信できるはずだと考えていた。

なので、熊楠が探究した学問は、
民俗学、人間学、宗教学、歴史学、考古学、博物学、生物学、
植物学、微生物学、地学、鉱物学、天文学など、まだあるが、
多岐に渡らざるをえない。

自然、日本、人を愛した熊楠の死後、
昭和天皇が歌に詠み込んだ。

雨にけぶる神島を見て 紀伊の国生みし 南方熊楠を想う

歴代天皇125代の歌の中で、
full nameの入った歌はこれしかない。

というわけで、
今日はこの辺にしておきます。

最後までお聞きくださりありがとうございました!


1年後に独立
https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#GMfFUu










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