2017年12月15日金曜日

この世に存在するものに無駄はない




おはようございます!
昨日は、伝教大師最澄をご紹介しましたが、
まだ、その余韻が残っています。

で、法華経っていう有名なお経があって、
意味は知らなくても、名前はなんとなく
聞いたことがあると思うんですね、

今日は、最澄のこと、そして、
天台宗の中心経典であります
その法華経の話をします。

では…
気になっていた最澄の遺言から始めます。

最澄は、死の間際に、こんなことを言いました。
「私のために仏を作るな。私のためにお経を写すな。
私の志を述べよ」

そして、最後に告げたのが、
「私はこの世に何度でも生まれ変わってきたい。
ふたたび生まれ変わっても、仏教を学び、
一乗の教えをこの世に広めたい」

このような言葉でした。

この、生まれ変わっても、同じ道を志し、
同じ分野のことを学び続け、
この世の続きを、つぎの世でも引き続きやっていきたい。

このコミットメントの深さ、
あなたは、どう思われますか?

私は、ハッとしました。
最澄さんの他にも、このような言葉を遺している人がいる。
誰だったかは、出てこないけど、
世の中や人類の未来をよくすることしか考えていなくて、
人々が苦しんでいるのを他人事として
見過ごすことができない人。

ということは、社会が混沌としてすさんでいるから、
こういう人がでてくるわけで、
誰もが諦めの境地で、絶対できるわけないよ、
っていうことにチャレンジすること自体、
そういう人は選ばれし人なのかもしれません。

何度も生まれ変わって、やり続けたい
また、そういうことを持っている。

そのことが今更ながら、驚きなんです。
フツーは、ないですよね。
よくて、ほどほどの情熱を持って生きて、
つぎの世があるなら、もっといい生き方はないか、
今度こそ理想の生き方がしたい、と思う。

それって、自分のことしか考えていない。
フツーの人は、やっぱり、他人のことを考える器は、
最初は隠れているんですね。
あとあと出てくると思うんですけど、

「死ぬまで」とか、たかだか
何十年という長さではなく、
死んでも死んでも死んでもやりつづけたい。
目的を達成するまでやり続ける。

そんな志が死んでも消えない人というのは、
フツーではない。それが使命だと思うのです。

民衆を幸せの道に導いてくれるんですね。

で、法華経は、私たちに課題を示しています。

「一過性の幸せに自己満足するのではなく、
私たちは無限の可能性を秘めていることを自覚して、
高い理想に向かって、教えに従いながら、

日々の生活を送らなければなりません。
そして、すべての人が、必ず、そうなれるのだと、
仏は、保証しているのです」

このような仏の大きな大きな慈悲を説いていますが、
それを裏付けるのが、法華経のこの世界観です。
それをご紹介しましょう。

「この世に存在するものはどれも無駄がなく、
隔てがなく、差別対立がなく、すべてのものが
この世を構成する上で重要な役割を果たしている」

これは、日本の古神道とも共通するところです。
法華経の教えは、もともと、
釈尊が悟りを開いて仏陀になって、
弟子たちに伝えられたものです。

でも、それは、口伝だったので、
釈尊の入滅後、長老や弟子たちによって、
ブッダの教えを正しく伝えるために、
整理することになりました。

それで、何百年もかけて、
中国から日本に渡ってきた仏典の一つが
法華経です。

ブッダの根本にある教えは、縁起というもので、
そこから発した、法華経の世界観と基本的には同じです。
表現がちょっと違ってはいますが、筋は同じです。
出たところが一緒なのですから。

釈尊は、この世の苦を克服するために
縁起という考え方を体得する必要がある
と、説きました。
で、法華経につながった・・・

というところで、
締めの時間がきました。

このように、日本もインドも中国も、
もともとは同じ世界観をもっていた。

でも、時がたつと、忘れちゃうんですね。

やっぱり、人類はみな兄弟ってことで、
今日の結びにしたいと思います。

きょうも最後までおききくださり、

ありがとうございました!

自分のもつ能力を世の中のために生かそう
https://naturalsuccess.jp/XBuddha/gold/special/#GMfFUu



参考図書:伝教大師の生涯と教え
編者:多田 孝正



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