2017年12月28日木曜日

欽ちゃんの足跡チョコッと話してみた!






今日は、欽ちゃんの話しをします。

萩本欽一、1941年生まれ、76歳のことば。

高校野球、甲子園の土を最初に誰かが持ち帰った。
一人の選手の勇気。それを咎めなかった大人も立派だね。

でもね、ずっとあれを真似しているのは悲しいよ。
新しい物語、生まれてこないかな。

これは、朝日新聞のインタビューに答えた
欽ちゃんの言葉のほんの一部ですが、こんなことも提案している。

高校球児は、大人でもない、子供でもない、
不完全なところが魅力だ。だから、
それをもっと引き出したらどうか。

インタビューの答えがみんな一緒。
「頑張ります」「応援宜しくお願いします」

それでは、素直な感情がぜんぜん表にでていない。

たとえば、試合に出られなかった子や、
負けたチームの子に、スタンドに向かって、
自分たちの想いをマイクで、喋らせたらどうか。

自分の言葉で語って、そうすれば、
お客さんも、一緒に喜んだり、悲しんだり、
共感してくれたり一体感が生まれたり。

「応援してくれる人のために頑張ろう」
って思えたりして。
選手たちも一歩踏み込んだ経験ができる。

選手とお客さんの距離が近くなることで、
感動が大きくなる。

欽ちゃんが、社会人野球チームの監督時代、
お客さんが喜ぶのは、ドラマ。
予想外のできごとやアドリブなのだと思った。

高校野球は、なんとなく、いまは、
規則で縛られているような印象があるが、
本来、泥臭いところが魅力ではないか。

思わず、甲子園の土を持ち帰ってしまった。
そんな、はみ出す勇気がほしいね。

こんな発想をする欽ちゃんは、
地味にいまだに君臨しています。


私たちは、テレビの黄金期とともに、
ワクワクしながら昭和を生きてきて、

だから、テレビ界の衰退は、
寂しくまた複雑な心境でもある。

でも、日本テレビの『世界の果てまでイッテQ』は、
2007年から続いている人気番組。

視聴率も20%前後を維持しているらしい。

それも、そのはず、
というのも、この番組がスタートする前、
担当ディレクターが、
欽ちゃんにアドバイスを求めに行っているんです。

で、番組をヒットさせるためのヒントを、
欽ちゃんから、2つもらっている。
それは、『遠い』と『辛い』でした。

今も、番組のコンセプト・方針は変わりません。
『世界の果てまでイッテQ』は、
タレントが遠くまで行って辛いコトをやる番組。

多くの番組制作者が『近く』で『楽』なことを探す中で、
こんな逆転の発想ができる欽ちゃんは、
なんて頭が柔軟なんだろうって感心してしまいます。

以前やっていた、週3本のレギュラー番組が
全て30%を超えていた。
『視聴率100%男』というのはここからきている。

結成当時、コント55号のコントには、
役柄だけが決まっていたが、
台本が無かった。

二人がコントをやることで、
欽ちゃんの突っ込みはますます磨かれ、
二郎さんのボケというか、芸は、磨かれ、
二郎さんという花が見事に咲きました。

欽ちゃんの無理難題の突っ込みに、
応えられたのは、二郎さんだけだった。

欽ちゃんは、タレントの域も、
コメディアンの域も超えていました。

その一つが、テレビ界の常識を変えたこと。
たとえば、
コントの動きが、カメラワークからはみ出したのも、

ピンマイクを日本に導入したのも、
番組の司会者に女性アシスタントがつくようになったのも、
テレビで素人をいじって番組を成立させたのも、
視聴者からのハガキや手紙をテレビで読んだのも、

スタジオに設けた観覧者席の背後にカメラを設置して、
ステージとお客さんのリアクションを
同時にテレビ画面に映し出したのも、欽ちゃん。
細かいことでいえば、まだまだあると思います。

欽ちゃんが本に書いている言葉があります。
人生で、面白いのは、発明と発見。

それは、欽ちゃんの生き方そのものって気がしてきますね。
先にあげた欽ちゃんのテレビ界での発明は、
いまは、常識になっています。

そんな欽ちゃん、浅草の東洋劇場というところで、
コメディアンの修行がスタートしますが、
3ヶ月くらいたったところで、演出家から、
「お前は、コメディアンに向かない」と言われ、

それは、本人も納得しました。
なぜなら、あがり症なので、
たった3つのセリフが言えない、
リズム感がないから簡単な踊りもできない。

だから、この時、欽ちゃんは、演出家に、
「はい、僕も無理な気がします。今月いっぱいで、
やめることにします。」
と、答えています。

で、このとき、本当にやめていたら、
コント55号も、有名な欽ちゃん走りもないわけです。

その話は長くなるので、
次回のためにとっておくことにしますが、

コメディアンとして、向いていない
と、言われた男が、レジェンドになるとはね。

もう一つの不思議が、司会業という仕事です。

欽ちゃんは、いつの間にか、
お茶の間の人気者になって、
寝る時間もないほどのハードスケジュールをこなす
超売れっ子スターになりました。

そして、ときは流れ、二郎さんとは、
別々の仕事をすることが多くなったころ、

事務所の社長さんに、
「この仕事だけは絶対に断ってね」

そう言って頼んでいたのが、
司会の仕事なんです。

アドリブでツッコミを入れて
二郎さんを困らせてばかりいたから、
型どおりの進行役なんてできるわけない。

そう思っていたのに、
なぜか、来るのは、司会の仕事ばり。

で、本当に向いていない司会の仕事をやってみたら、
新しい司会者だと言われた。

のちに、冬季長野オリンピックの閉会式の司会まで務めた。

で、欽ちゃんは過去を振り返ってみて言うんですね。
「今考えると、向いていなかったのが
よかったんだと思う。」

「もし、コメディアンも、司会も、
向いてるって言われていたら、
天狗になって、成功しなかった気がする。」

「だから、向いていない場所にこそ、
運は落ちているって思います。」

深い・・・

では、最後に、
人の才能を見出す名人でもある、
欽ちゃんのエピソードと、たけしの言葉をご紹介します。

欽ちゃんが司会をやっていた、
『スター誕生』という番組がありましたが、
最初、山口百恵ちゃんは、
オーディションに落ちていたんです。

それを、欽ちゃんは、
この子は絶対に大スターになるからと言って、
オーディションに復活させたんです。

もう一つは、ダウンタウンに、
「君たちは絶対に売れるから心配するな」
と、励まし、彼らが、
東京に進出するきっかけを与え…

で、欽ちゃんの、
アットホームな笑いに批判的だったタケシが、
世界のたけしになってしみじみと、
こんなことを語った。

「お笑いの地位が上がり、お笑いタレントが
司会をやれるような時代になったのは、
萩本さんのおかげ…」

というわけで、
今日も最後までおききくださり

ありがとうございました!

花を咲かせる職業




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