2017年7月20日木曜日

ドラッカーの意外なエピソード

ドラッカーさんは日本びいきで日本画などの収集でも有名





















ユーチューブで聴く場合はここ↓をクリック
https://youtu.be/557Qm6_fLOY


あなたは、ピーラー・F・ドラッカーさんのことを
どこまでご存知ですか?

多くの人が「マネジメントの父」としての
ドラッカーさんのことしか
知らないと思うんです。

私なんてヒドイもんで、
ほぼ名前しか知りませんでした。

なので、調べてみました。

ドラッカーさんは、1909年生まれ、
96歳のお誕生日の直前に亡くなられました。
あと、8日でした。

で、ドラッカーさんは、
アメリカの自動車会社の最大手だった
GMのコンサルタントをしたのが、
マネージメントの父としてのはじまりで、

「マネージメントの発明者」とも言われています。
大学教授の時代も長かったし、
もちろんコンサルタントとも呼ばれています。

でも、本人は、
基本は文筆家だと思っているって言っています。

1939年には、ナチスドイツの本質を暴いた処女作
「経済人の終わり」を書いていて、

それが、イギリスの首相になる前のチャーチルに
評価され、文筆家としての道が開けたと、
語っています。

ドラッカーさんは、
第一次世界大戦前に帝都ウィーンで生まれて
激動の20世紀を生きました。

約96年間、1世紀近く生きた人なんです。

なので、
「歴史の生き証人」としての側面も持っているんです。

2005年2月に連載された、
日本経済新聞の「私の履歴書」という連載を読んだ方や、
それを元に出版された、「ドラッカー 二十世紀を生きて」
という本を読んだ方はご存知だと思いますが、

ほとんどの人が知らないドラッカーの、
エピソードを紹介したいと思います。

ドラッカーは、
もともと恵まれた家庭に生まれています。
今日は、詳しくはお話しませんが、

ところが、時代背景的には、
今とはまったく想像できないような
世の中の動きがあって、
よく『時代の流れに翻弄された』なんて言いますけど、

まさに、そんな感じで、
ドラッカーの人生も進んでいくんです。

職業も正規の社員じゃないところからスタートして、
それも、本を書くためというのが根底にあったんですね。

のちに、学術論文を書いたりするんですけど、
詳しいことは端折りますね。

ドラッカーさんは、
生きた時代が時代なだけに、
波乱万丈な人生を送ったはずなのに、

本を読んだ限りでは、
悲壮感がまったくと言っていいほど、
漂ってこないんです。

もちろん、身内の死に対する悲しみ、
大切な友人を理不尽な形で殺された
無念さや憤りが痛々しいほど伝わっています。

でも、きのう聴いた仙人さんの音声にあったように、
ドラッカーさんの人生で起こったことは、
すべてが素材になっているんです。

しかも、悪いようにみえた出来事が、
つぎには、いい方向に展開していくんです。
しかも、トントントンとテンポよく。

実際は、そんなに簡単なことでななかっと思います。
でも、ドラッカーさんの人生を大きな木と考えた場合、
ほんとうに、順調に育っていっているって感じなんです。

雨にも負けず、風にも負けず
どんな社会情勢にも負けずに
頑張っていると運が味方してくれる。

そして、スピード感、
リズムやテンポは大事だと思いますね。

危機一髪
ってことば、

ホント、
たった数秒、判断・決断が遅れただけで、
一巻の終わりってありますよね。

ドラッカーさんや、ご家族も、
周りの人たちや運に助けられながら、
危機一発の難を逃れています。

本の中に、たびたび出てくる言葉、
それは、「運がいい」

これがドラッカーさんの人生の
キーワードだと思います。

で、その運を支えているのは、
ドラッカーさん自身の、
先見の明といいますか、
慧眼っていいますか…

物事の本質や裏を見抜く
鋭い眼力を持っていたから、

どんな困難な状況も、
スルリとまではいかなくても、
くぐり抜けてきたんだと思うんです。

同じ時代を生きても…

その背景をどんな目でみて、
どんな風に解釈して、
そのとき自分がどんな行動をとるか。

人の運命の違いって、そこにあるのかな?
って思いました。

ドラッカーさんの、正体を見破る目をというのは、
ほんとうに、すごくて、
真のジャーナリストだったんだなと思うのは、
どんなときも冷静ってことなんです。

ヒトラーが出てきたときにも、
いち早くナチスの危険性に気付いた。

ヒトラーには、
ゲッベルスというパートナーがいて、
演説とかしていたんです。

そのころのドラッカーさんは、
フランクフルトの新聞社で、
デスク 兼 記者として働いていました。

で、そこに出かけて行って、何度も演説を聞いたり、
演説のあとの記者会見とか個別インタビューしたり、
しているんです。

ちょっと余談ですが、
その他の主要政権のリーダーへの取材も
ちゃんと行っていました。

生ヒトラーと生ゲッベルスに
リアルに会って、直接インタビューって、
ほんとうに歴史の生き証人ですね。

で、ドラッカーは、
その演説会場の異様な光景を目の当たりにして、
『これは恐ろしいことになる』
と思ったんですね。

明らかに演説で言っていることに矛盾がある、
しかも、ゲッベスル本人が、これはプロパガンダだ!
と言っているのに、聴衆がさらに熱狂するんです。

そんな光景を、
何度も、取材して、目撃して、
ファシズムの本質を見抜いて、
記者として、警告を発したんです。

政界とか産業界のリーダーとかに、

でも、ナチスの危険性はほとんどの人に
理解されなかったんです。

なにかことが起こっても、
簡単に収められるだろうって、
たかをくくっていた人たちばかりだったんですね。

だから、もし、
マスコミが真剣にヒトラーの危険性を認識して、
正しく強く世の中に訴えていたら、
ナチスは政権をとることはなかったかもしれない。

ドラッカーさんも、記者として、
マスコミ人としての責任を感じていて、

それを自分自身に問うてる姿を想像すると、
痛々しいです…


というわけで、
時間がなくなってしまいました。
すみません。

機会があれば、つづきをお話しますね。

それでは、今日も最後までお聞きくださり

ありがとうございました!



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