2017年6月29日木曜日

ココシャネル「こうやって人は死ぬのね」

ココ・シャネル人生の卒業は97歳だった


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スキルを磨く


ココシャネルは往生際に、

「こうやって人は死ぬのね」という言葉を遺しました。

87歳でした。
けっこう長生きだったんだなと思った。

今日は、ココシャネルについて話したいと思います。

ココシャネルは、世界的に有名なファッションデザイナー。
最初は帽子屋さんだった。
のちに香水もつくって「シャネルの
5番」は、世界的ベストセラーになった。
マリリンモンローが、「寝るときに身につけているものは何?」
と質問されて「シャネルの5番よ…」と答えた。

世界中の有名人が着用しているシャネルスーツは、
さすがに、形だけはよく知っている。

昔の貴婦人たちがお召しになっていたドレスに比べたら、
タイトなスカートに、襟なしのジャケット。

このデザインは、わたしには似合わないと思っていた。
なので、シャネルスーツなるものを買ったことがない。

あのロゴマークも有名だよね。
2個のCが背中合わせに少し重ねてならんだ
「ダブルC」の「ココマーク」。

なんだと思ったら、ココシャネルのイニシャルだったのね。
C.C・・・ここからきていたなんて考えたこともなかった。

それだけ、わたしにとっては、
あまり興味のないブランドだったってことね。

このシャネルマークね、
あのチェーンバッグの正面でよく目立っていたんだよね。
わたし、鎖系のファッション嫌いなのよ。
だから、ネ、いつもスルーって感じだったわけ。

でも、あの鎖のついたジャラジャラバッグ、
女性のファッション史上で初めて、
女性の両手を自由に使えるようにしたバッグだったってこと知ってました?
えっ、あなたは、知ってたの?
わーすごい、私は知りませんでした。

しかも、ご丁寧に、鎖に細い革をぐるぐる絡ませてあるでしょ?
あれも意味があるんですよ。
もちろん、あなたはご存知だと思いますけど、
世界は広いから、私みたいに、シャネルさんのこと、
いままで興味なかったって人のために言っておきたいんだけど、

バッグのショルダーね、
鎖だけだと、心もとないんですよ。
いつ切れるかわからない。
だから、補強したんですね。
丈夫な革で、あれ、単なるファッションじゃなかったんですね。
とっても機能的に考えられていたんです。

だから安心感がある。
バッグを肩にかけたまま、両手を解放して、
自由にいろんなことができる。

女性のための、女性による、
世界の大発明、それが、
シャネルのショルダーバッグだったんですね。

なんて、すっばらしいんでしょう。
いつか私、シャネルバッグ買っちゃうかもしれません。

シャネルの本店はパリのカンボン通り31番地、
1921年からココにある。

シャネルのブティックの前までいくと、
まず上品でハンサムなロシア人系のドアマンが迎えてくれて、
中に入るとエレガントなスタッフさん数人が笑顔で待っている。

考えただけで、ドキドキします。
インテリアは、すべて、ココシャネルの高級商品。
ファブリックとガラスと金属とモノトーンのハーモニー。

チョット思ったんだけど、
私はどんな格好で行けばいいの?

それは、これから考えるとして・・・

さすがに春夏のコレクションだと、
赤も黄色もピンクも青も緑も使ってるの見たことあるけど、

やっぱり、秋冬のイメージなんだよね、シャネルって、
生地はツイードで、色は赤でも抑えた、基本モノトーンって感じ。

ところで、シャネルさんって、11歳のときにお母さんを亡くしている。
その後すぐに、お父さんに捨てられ、修道院の孤児院で育つんですよ。

孤児院を18歳で出されてから、2年くらいかな?
寄宿学校に行くんだけど、
そこでの出会いが、そのごのシャネルの運命を開花させていくんですね。

シャネルのバックボーンって、
スタートは、人並み以下だったんですよね。
表面上はね。

庶民でも、かなり恵まれない環境の出身です。

なのに、世界じゅうのブルジョアと恋におち、
男の数だけ踏み台にして…なんて言ったら失礼かな?
ま、いろいろあって、
恋愛感情のあるなしに関わらず、男女問わず、
フツーではありえないような人脈が展開していくんですよね。
シャネルさんの人生の中で。

一つの出会いが次の出会いを生むみたいな感じですね。
貴族、大貴族、世界有数の大富豪、世界的作曲家、芸術家と
贅沢すぎるセレブな交際範囲です。

出会う人出会う人がそんな感じで、

父親に捨てられて時が、どん底で、
そこから、シャネルのキャリアはスタートするんだと思うんです。

11歳から、孤児院という社会の中で揉まれて、
人間関係とか、社会のルールとか、自分の感情と向き合って、
自立心が芽生えたり、
そこでのシャネルはかなり反抗的だったそうですね。
一人で悶々としないで、感情をぶつけるような少女だった。

そんな性格もビジネスウーマンとしての素養だったような気がします。

あと、コミュニケーション能力の高さですね。
人の縁が途切れないんです。
個人的な感情に左右されないっていうか、
賢いっていうか、ものごとすべてにおいて、
ビジネスマインドで考えるっていう
天性のものを持っていたんじゃないでしょうか。

そこへもってきて、孤児院では、
早寝早起きという規則正しい生活習慣と、
裁縫のスキルを身につけた。

この二つを武器にファッション界の女王さまとして
87歳まで君臨したんだと思うんです。

最下層に生まれて、なぜか、
セレブを相手にビジネスで成功した。

まるで、王子さまと結ばれない
シンデレラストーリーみたいだと思いませんか?

シャネルはなぜか、貴族と縁があったんですね。
それで、縁が途切れないから、また、
貴族が貴族を連れて来てくれる。
そんな連鎖がつづくんです。

なので、自然の流れのなかで、
上流社会というものを経験し学び、
文化・教養・センスを磨き、新商品につなげたんでしょうね。

平民の、貧しい生い立ちで、
母親に死なれ、父親に捨てられ、
5人きょうだいの中で、シャネルだけが修道院の孤児院に預けられ、
貴族に出会い、本当の夢を諦め、必要とされるファッション業界で、
デザイナーとして認められ、
第二次世界大戦を境に、シャネルは、
一度は、アクセサリーと香水部門以外すべての店をたたみます。

そして、15年後の完全復活。

上流社会の中に身を置いているということは、
いま世界を動かしている生の情報を得ることができました。

シャネルは「人との出会い」を追い風にして、
シャネルという一大ブランドをつくり上げたんだと思うんです。

シャネルは、きめられた、この世のシナリオを
理想通りに生きたのかもしれませんね。
わかりませんけどね。

私は遠回りばかりです…

世界中のセレブを顧客にして、
たった一代で、トップブランドをつくりあげた。
しかも、彼女が死んで、46年たつ現在でも、
シャネルは揺らぐことのない不動の地位をキープし続けています。
なんて巨大すぎるパワーの衰えないブランドなんだろう~

創業者のココシャネルと同じで、強運さを感じさせます。
シャネルのブランドイメージは生き続けているんですね。

それでは、今日も最後までお聴きくださり

ありがとうございました!



参考:西口敏宏著、ココ・シャネルの「ネットワーク」

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