2017年11月24日金曜日

教育者の情熱



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今、私たちは、教育について学んでいます。
X-Buddhaという教育プログラム、
第4話まできました。

授業を聞いては、内容を忘れていく私ですが、

今の段階で、
教育者には情熱が必要なんじゃないかな?
って思っているので、
きょうはそんな話しをしたいと思います。

昔の教育が今のように問題がなかったのは、
やはりその頃は、教育者に対する圧倒的な想い、
強い志のある人だけが、先生になっていたと
いうのがあると思います。

これはブッダの授業でも最初に話されていましたが、
昔の教育者は、現代のように、
ふんわりとした教師のイメージとは、
次元の違うものだったと思うのです。

いまは、下手したら、「生活のために」という目的だけのために、
消去法で、先生という職業を選ぶ場合だってあると思うのです。

向き不向きで、じぶんは先生に向いているらしい、
それだけで選ぶ職業ではないと思うのです。

なぜなら、
「先生」を教育するシステム自体も、
先生を教育する先生も、
教育のことがわかっていないからです。

すべては、うわべのマニュアルで、
お役所仕事的な、そこに、
血の通う情熱が感じられません。

だから、先生を目指す人も、

教師になる試験に合格したら、
研修があって、それを受けたら、
一人前になるための条件がそろうと
思わないで欲しいのです。

現場を知らない私が、偉そうに言っては
申し訳ないのですが、

今の世の中は、すべてが、
そんな感じに思えて仕方がありません。

今の私たちは、
国の支配下にある。
そんな気がしています。

また、そうしているのも
私たち自身であるという気持ちもあります。

それは、
依存心からきていると思っていて、
強いては、責任逃れにつながっていく。

知らないうちに、
そんな生き方になっちゃってて、
困ったものです、って感じです。

そうならないように、やっぱり、
国にとっても、国民にとっても、
教育が大事だと思うんですね。

なので、すべての先生、師匠、メンター、教育者は、
ちゃんとした教育メソッドを学んで欲しいと思っています。

なぜなら、彼らが、昔の、たとえば、
吉田松陰のような人たちばかりではないからです。

こんな「松陰語録」があります。
現代文に直したものですが、

「たとえ、終身刑の身になったとしても、
世の中を変えたいという夢は、
外に向かって膨らむばかりで、
それは誰にも止められない」

昔は、教師育成コースみたいなものは
なかったと思うのですが・・・

教育の場も、師から弟子へと、
受け継がれていったと思います。

そこには、一本の縦の糸が繋がって、
情熱や信頼関係や責任感や、
上下の関係があった。

そんな感じがしますね。

それが少なからず残っているのが、
武道の世界かもしれないと、
私は思っています。

それは、目に見えない世界のことであり。
伝統であり、一朝一夕では、
身につかないものです。

言葉で伝えることも大事だけど、
その空気感というか息遣いというか呼吸というか、
それがなかったら、ほんとうに
伝えたいことが伝わらないと思うのです。

先生と生徒の間に
あうんの呼吸があれば、
生徒はどんどん学んで吸収していくと思いますね。

あうんの呼吸とは何かというと、
伝えたいことが正しく相手に理解されるということです。

ミス・コミュニケーションではない、
ということです。

「私はあなたに、そんなふうに教えた覚えはない!」

そう先生に言わせるような態度や言動を
生徒がとらないということです。

先生が思い描いた通り、または、
それ以上に物事を理解して成長してくれる。

それは、生徒の態度や言動をみればわかります。

また、そうなってくれたら、
先生冥利に尽きますよね。

やはり、教育者は、生徒の潜在能力を
引き出して伸ばしてあげるのが仕事なのですね。

ここで仙人さんにお聞きしたいのですが、
日本には情熱が不足しているように思えるのですが、
どうしたら、情熱的になれるのでしょうか?

教えていただきたいです。

教育者に限らず、どんな職業の人も、
どんな立場の人も、すべての国民が
情熱を持って生きられたらいいのに、
って思います。

よろしくお願いします!

というわけで、
最後までおききくださり
ありがとうございました!

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