2017年11月16日木曜日

田中角栄


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   https://youtu.be/An_OGPeIdG8


きょうは、田中角栄、
角さんのお話しです。

昭和を代表する政治家、
田中角栄が、今ブームだということですが、

私は、
なぜ?という思いと、
確かに。。。という思いがあります。

「確かに」という部分は、
田中角栄なら海外にバカにされずに、
上手に外交をやってくれるんじゃないかな?
って、思うからです。

今の、日本には、角さんのような政治家が
必要なんじゃないですかね?

日本人は、昔から、争いを好まず、
少々のことなら目をつむる、
というスタンスで海外と付き合ってきました。

それが災いしたっていうか、
ニッポンの美徳が、海外にはぜんぜん通じない。

地球はひとつ、「和をもって貴しと為す」のが日本。

ところが、和す前に、征服したいと考える国もあるんですね。
武力で敵を負かし、支配したがる。

ま、一概には言えませんが…

で、

角栄さん。。。
亡くなってから24年も経つんですね。

とても、懐かしくて、ちょっぴり寂しい気がします。

それだけ、角さんは国民に愛されていたんです。

ロッキード事件とか、真相が明らかにならないまま、
亡くなったのは、ほんとうに残念です。

田中角栄を称して、
「コンピューター・ブルドーザー」と
言った人がいます。

それくらい、角栄は、膨大な知識と、
明晰な頭脳の持ち主でした。

そんな角栄は、
数々の名言・名演説を残してます。

角栄がしゃべるとき、
会話、演説、どんなときも
角栄節が全開でした。

奇想天外な発想と表現力に、
「この人なら、やってくれるだろう」
と、夢を抱いたんです。

終戦の8ヶ月後、日本中が
食べるものに餓え絶望で苦しむ中、
角栄は、ふるさと新潟でこんな演説をしました。

越後の国、新潟は、一年のうち、1/3が雪で閉ざされるのですが。。。

では、これが有名な「三国峠爆破演説」です。

「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばすのであります。
そうしますと、
日本海の季節風は太平洋側に吹き抜けて
越後に雪は降らなくなる。
出てきた土砂は日本海に運んで行って
埋め立てに使えば、佐渡とは陸続きになるのであります!」

いかがですか?

来ますよね、ハートに!

角さんの演説を別のアングルから見てみましょう。

世界的ベストセラー、
デール・カーネギーの、
「人を動かす」という本の中には、

人を動かす3つの要素が書かれています。

金銭欲と自己保存欲とプライド、
この3つだそうですが、

それを角栄節に当てはめてみると、
すべて揃っているようです。

それどころか、3大要素に、
さらなる2つの要素が加わっているのです。

なんだと思います?

それは、角栄と、
角栄の話を聴く人、聴衆との「一体感」なのです。

われわれは・・・と言って、聴き手を、
自分の土俵に引き込む感じですね。

一体感です。
これで、4大要素。

角栄の言葉は、、、あるときは、
敵の心までつかんで離さないのですが、

それは嘘偽りのない、
「本気」さが伝わるからなんです。

人を動かす5つ目の要素は、
「本気」。

敵の政党や派閥を越えて、
角栄の隠れファンは多かったようですね。

嘘はいわない、本気で話す。

他に、角栄の話術の特徴をあげてみますと、
具体的なデータを盛り込んだり、
しかも、正確な数字をきっちり暗記していました。
暗記は得意だったようです。

つぎに、
天才的な話術が、じつは努力のたまものだった
というエピソードです。

角栄が4歳のとき、
ジフテリアにかかったことで言語障害が残ったんです。
それから、強度の吃音が始まったそうです。

思うように話せない角栄の苛立ち、
外にでれば、子供たちにからかわれ、
当然、家に引きこもります。

でも、お母さんの励ましがあったからこそ、
角栄は、そんな辛い過去をみごとに克服しました。

母は、角栄の吃音を全く気にするどころか、
こんなふうに言っていたんです。

「言葉が不自由なのは、角栄の看板のひとつだよ。
誰でも特徴はあるもんだすけ」

それから、あるとき、
歌うように話したら吃音がでないことに
角栄は気がついたんです。

ちょうど、5年生の学芸会があって、
「安宅の関」という劇をやることになったのですが、
角栄は、先生の配慮で、裏方の仕事をすることになった。

ところが、主役の弁慶をやらせてほしいと、しつこく訴える。
最初は、心配で反対していた先生も、
「ぜったいに、つまらないでやってみせます!」
と、その自身に満ちた角栄の言葉をついに聞き入れます。

それから、陰で、何百回も練習したそうです。

もちろん、結果は、割れんばかりの拍手喝采だった。

で、最初のころの演説は、
シャイで本当に下手くそだった。

しかし、これも勉強で乗り越えた。

乗り越えたどころか、
角栄の間の取り方は
伝説の話芸の名人を彷彿とさせるのです。

角栄の日課は、
秘書が集めたデータを暗記すること。

赤鉛筆片手に1時間、2時間と、
黙々と集中していたそうです。

天才だと思っていた角栄が、
じつは、努力の人だった。

そう思うと、頑張れば、道は開ける。
そして、私はまだまだ、努力が足りないなと思いました。

自分は、ちゃんと話せない、
その、先入観を外すためにどうすればいいか、
自信がないと吃音がでる、どうすればいいか、

それは、大声でしゃべること・・・

それで納得、
角さんはいつの間にか、あの、
迫力あるダミ声になったのですね!

というわけで、
向谷匡史(むかいだにただし)さんが書かれた、
「田中角栄 情の会話術」という本を参考に
しながら、お話しました。

きょうも最後までお聞きくださり
ありがとうございました!

X-Buddha今必要なのは真の教育

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