2017年2月24日金曜日

書道と母親

富士山を見ながら散歩



書道・・・

なんで私は書道をやっているんだろう?

書道は得意分野だった。
高校で書道部に入った。
でも、いつの間にかやめた。

私にとって書道は、
家族みたいなものかな。

そういえば、
大学の書道科に行こうとしたり、
なぜか韓国に書道留学をしようとしたり。

そんなこともあったなぁ。

いろんなことを思いついては、
いつの間にか消えていく。

そんな感じだったね。
私のパターンって。

もっと早く知りたかったよ。

いろいろ習い事をやった。
その中の一つでも極めていれば、
今頃、その道で生きていると思う。

でも、
見事に、すべてが、完璧に途中下車。

アホちゃうか!
って感じ。



母はしっかりしていた。
5人姉妹のおトンボだったが
すべての姉たちから頼りにされていた。

そんな母は、
従軍看護婦になりたくて、
看護師を志した。

実際、終戦になったので、
戦地には行けなかったが、
母は看護師を全うした。

一度も平(ひら)をしたことがない。
そう言う母は管理職一筋の人だった。

母は、自分の子供だから、
私も勝手にわが道を見つけて
歩むだろうと思っていた。

それは、
大いなる勘違いだった。

母は、黙って私を見守り続けた。
死ぬまで。


目の上のタンコブだった母を亡くしたとき、
私は、生きる意味を失った。

母のいない世界を生きるくらい価値のないことはない。
そう思った。
毎日毎日嘆き苦しむ日々が続いた。

なんとか立ち直ろうとするが、
どうすることもできない。

悲しくて悲しくて、
毎日が悲しみのなにものでもなかった。

一年は毎日泣き明かし、
二年目から泣かない日が少しづつ増えて行った。



母を亡くして2ヶ月後、
夫の母も遠い世界に行ってしまった。

その前にもう一人、
心の支えだった大事な人を亡くしていた。

この3人が一度に、
私の手の届かないところに行ってしまった。
たった二ヶ月の間に。


私という人間の
大部分を占めていた人たちの死。

一気に訪れた喪失感。
頭では理解できなかった。
とまどいとこんらんが私をぐるぐる巻きにした。


感情の大津波に飲み込まれそうになっていたあのころ。

今は、ここまで冷静になれた。

以前の私なら、
母のことを話し始めると
すぐに涙が溢れ声が震えた。

『母を思い出すとすぐに涙』
そう決まっていた。



書道に話しを戻すと、
母の字がすっごく綺麗だった。
私の中では、上手よりも格が上だった。

母のいいところが全部入っていた。

私は、そんな母の字を見て育った。

自然に母の文字から
ミラーニューロンを受けていた。

だから、書の好みは、
母の書く文字の影響を強く
受けているかもしれない。

私は、字が上手といっても、
端正な文字が書けたわけではなかった。

ただ、習った覚えはなかったが、
鉛筆で書いても、
起筆や曲がり角などを筆文字のように書いていた。

中学の時、
私の字を真似ていた友達がいた。

それがチョット変わっているなと思ったのは、
大人になってから。

なんというか、
書は、習うという感覚ではなく、
私と共にあった。
っていう感じかな。

あ、でもチョコっとだけ
習ったような記憶がある。

小学校のときに。

たぶん、
お試し入門くらいしか
やっていないと思う。

そろばん、書道、塾。

なんでもチョコっとだけしか
続かなかったな。






0 件のコメント:

サイダーとヨーグルトでラッシー作ってみた

音声はユーチューブで ラッシーが飲みたい ラッシーとは カレーと相性が良くて 辛さが和らぐ白いソフトドリンクで それを飲みたいって思って カレー屋さんで飲んだ印象では 飲むヨーグルトっ...