2017年2月27日月曜日

ある書家の心理・父母・トラウマ

トランジットのドバイ国際空港 夜中の4時間過ごす



















ドバイ国際空港内アジアン・レストラン1時間後には満席になった。



























私って中途半端だなぁ。

反抗期だって無駄に長かっただけ。

ちゃんと反抗の理由を述べたことがなかった。
だから長引いたんだと思う。

親や先生に反抗心を、
100%出し切ったわけではない。
だから、未だに消化不良っていうか、
発散できていないような気がする。


もの言わぬ反抗。

心で不満をもっていた。

たとえば、父親に対して。

私は机のスタンドの明かりをつけて宿題をしていた。

父親が夜、
酔っ払って帰宅して言った。
「おー、勉強してるのかぁ」

父親にしてみれば、
なに気なく言った言葉だったろう。

でも、私は、からかわれたような、
すご〜く嫌な気持ちがした。

こんな時も何も言い返さなかった。

父といえば、
なぜか真っ先にこの情景を思い出す。

母にもそうだった。
心の中ではいつも思うところがあった。

母親とはこうあって欲しい。
こうあるべきだ。

母は職業婦人だった。

外で、頼られ慕われていた母。

今思えば、私は寂しかったのだろう。

甘えればいいのに、甘えられない。
私にもこうして欲しい。
素直に言えなかった。

お母さんのこういうところが嫌だ。
そんな風に言葉で反発できなかった。

母親は反面教師だ。
なんて、偉そうなことを思っていた。

高校3年生の時の先生に対しても、
文句は言わないけど、
大嫌いだった。
でも、なぜかこの先生をよく覚えている。

顔や容姿が未だに目に浮かぶ。

今は嫌いでもなんでもない。

当時、毎日のように遅刻をしていた。
それも反抗の表れだったのか。

わからない。
でも、
反抗心は溢れるようにあったのに
言葉の暴力はしなかった。

なぜだろう?

先生に反抗するのも
学生生活の一部みたいなもの。

そんな感じだった。

学生生活の他に
興味のあることがあった。

だから、それでよかったのだ。

ただ、私は父親や母親の愛情に
飢えていたような気がする。

今おもえば…

小学生の時は、母が大好きだし
尊敬していた。
そう素直に作文に書いたのを覚えている。



小3の担任がすっごい贔屓をする先生だった。
大嫌いだった。

4年生の時は待遇が真逆になった。
若い男の先生は、とっても穏やかで優しかった。

先生のお手伝いをして下校が遅くなると、
よく帰りにうどんを奢ってくれた。
ほかの友達とともに。

本当に学校が楽しかった。
ところが、その先生が、
学年の途中で新しい学校に転任になってしまった。

あー、私って悲劇〜。

その後の学生生活は、
可もなく不可もなく。
普通に楽しいかったと思う。

高3だけ異常に反抗的だったが。


これまでの私は、
母を追い求め続けた人生だった。

母が死ぬまで、
私の思いを素直に態度に
表すことはできなかった。

母は母で、多くを語らないタイプだった。

話の途中で私が、
「なぜ?」と聞くと、
いつも答えは一緒だった。

「言わんでもわかるやろ」
と、バカにされた。

本当に私も母も、
二人のコミュニケーションに対して
説明不足もいいとこだった。

今なら、
母の立場に立って考えることができる。

でも、目の前のことに、
その時々の感情に翻弄されつづけた。

お互いがお互いを常に
「なんで?」
と思っていた。

本当に、私は
相手の心を読むのが
苦手といおうかなんといおうか。

自己中心的。
自分以外の人を理解しよう
という気持ちが欠けていた。

本当に恥ずかしいったらありゃしない。

私は、家族のためにとか、
母のためにとか
思ったことあるのかな。


病気の問屋だった母。
病院に行くと安心できた母。
極端に病院嫌いだった私。

母と私、
こういうところは正反対だった。

しっかり者の母。
子供を頼らない母。

なんだか頼りなげな私。
夫がいて子供がいる。

でも私が一番頼りにしていたのは母だった。
母は存在感のある人だった。
そばにいてくれると心強かった。

だから、いつもそばにいて欲しかった。
でも、母は一人暮らしを好んだ。

今になって母を思い出すと、
誤解していたことや、
見えなかったことが良く見える。


母は、実は私と同じことを
追いかけていたんだと思う。

お互い求めあう気持ちが強かった。

お互いのことをいつも考えていた。

でも、言葉と態度が素直じゃなかった。

何も言わなくても満たして欲しかった。
親子らしい態度をとって欲しかった。
親子らしく優しくしてほしかった。

お互いに・・・

なんだか母と私は悲劇のヒロインみたい。

でも、人の人生って、
こんなものかもしれない。

誰だって、
人生をさかのぼってみると
いろいろ悲しいこととか
トラウマとかあるんじゃないかな。

長く生きていると、
辛いことも上書きされて、
忘れていることがあることに気づいた。

子供のころからのトラウマがあった。
でも、新しい辛い出来事に、
心は占領されてしまう。

でも、
隠れてしまった昔のトラウマも
未解決のままなんだよね。

こころの傷は残っている。
年月とともに、
確かに記憶は薄らいではいる。

記憶の写真は、
セピア色になっただけ。

もし、私と母が、
ギャーって取っ組み合いの喧嘩をしていたら、
どうなっていたんだろう。

仲良くなれたのだろうか。

ギャーーーーーーーーって、
私は母の胸にぶつかりたい。
いますぐ。



エミレーツ航空・機内食 私にはおっぱいに見える。














0 件のコメント:

サイダーとヨーグルトでラッシー作ってみた

音声はユーチューブで ラッシーが飲みたい ラッシーとは カレーと相性が良くて 辛さが和らぐ白いソフトドリンクで それを飲みたいって思って カレー屋さんで飲んだ印象では 飲むヨーグルトっ...